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初代校長 橘先生 〜先出し百年誌〜

現在、100周年事業の一環として「百年誌」の編集作業が進められています。
ここでは随時、誌面の一部を先出しでご紹介したいと思います。

初代校長 橘淳一郎先生

今回は、初代校長の橘淳一郎先生に関わる誌面のご紹介です。

当時の職員の言葉が、橘先生の人となりを伝えています。

彼は全く剛直そのものゝ様な人であった。だから校是とか校訓とかいうものゝ中には必ずやその点が織り出されて居た。(※注:開校当時の教育目標は「希望」「敬愛」「剛健」)だからあくまでも邪道を排し教育の正道を進んで行ったという点で教員を敬服させたのであろう。
本校の生徒は非常に几帳面で、当時は袴をはいている子供が相当いたのですが、正しい袴のはき方を校長先生から指導を受けました。窓の開け方なんかも必ず眞中にやるとか、棧には必ずはたきをかけるとか、初代の校長は形式方面においては非常に厳格でした。

「正しい袴のはき方を指導」!
まさに100年前の大正という時代を感じます。

こちらは、桃二を去られた後に寄せられた橘校長先生からのご挨拶です。

梅雨も過ぎていよいよ灼熱の夏が參りました。皆々㨾の御健勝を御喜び申上げます。お別れ申してより早くも月餘を經過いたしましたが、思慕の情切々朝夕感懷を御校の上に馳せて居ります。

私が御校に參りましたのは大正十年四月即桃二開校と同時でありました。今にして當時を回想すれば文字通り全く今昔の感に堪へぬものがあります。校舍の狹隘不備、設備萬端の不十分なるさては環境一帶人家疎にして荒寥寂寞なる、當時を目擊したものならずしては到底其の實情は想像を許さないのであります。都心を距る僅々三十分にして此の如き小學校の存在するは寧ろ奇蹟的に思はれた程貧弱な存在であつたのであります。其の際所謂創業の重任を帶びて學校經營の衝に當り爾来十年桃二建設の爲に微力を䀆したものゝ元より魯鈍徒に歳月を過した憾があります。さて此の間學校經營の上には幾多の變遷がありましたが、幸に保護者各位の最も理解ある御後援によりて年一年と形態の整備に内容の充實に地歩を固め、今日學校の基礎も略確立を見、愈々収獲期に入りつゝある事と、曲りなりにも「桃二」の聲價が幾分なりとも世間の認識を得るに至つた事を思ふ時欣快に堪へぬものがあります。併しながら飜つて自分をして何等外界の掣肘を感ぜず、毫も左顧右眄する事なく全く獨往邁進思ふかまゝの經營を爲すを得しめたものは偏に皆㨾方の御寛容と御同情との然らしむるところと深く信じ感銘措く能はざる次第であります。

今官名により御校と別るゝ事になりましたが、自分の微力が「桃二」建設の爲一礎石となり、二千の卒業生の上に幾分の感化薰染を與へ得た事を思ふ時衷心愉悦を感ずるのであります。離別に際しては感慨のみ徒に多くして兒童に對しても十分の別辭を述べる事が出來ず、保護者の皆㨾方にも一々御挨拶を申述べる機會を逸した事を非常に心殘りに思つて居ります。會々本誌上を借りて御挨拶を申上ぐる次第であります。終りに御愛兒の限りなき幸福と御校の繁榮とを祈つて止みません。不肖亦御校々運の隆昌を陰ながら御援助申上ぐる覺悟で居ります。

昭和七年七月五日

大変格調高く、読めない漢字もありますが…創設期の桃二での大変なご尽力と、教育にかけられた情熱が伝わってきます。

今後も随時、桃二の歴史を「百年誌」からご紹介したいと思います。

百年誌はどなたでもご購入できます。詳細が決まり次第、こちらでお知らせします。

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